小さな道 Piccolo modo
「小さな道」を歩むということは、主のみ心に全面的に信頼して生活することです。
しかし、苦しみの道と聞いただけで躊躇します。
その結果、その道を歩むことが難しいとか、不可能だとか、まだ心の準備ができていないとかの言い訳が良く言われます。しかし、もしも、本当に主のみ心に信頼するならば、主は私たちのために最善の方法をいつも与えて下さることを信じることが求められます。
もしも、それが信じられないということであれば、主のみ心が信じられないことになります。
私たちは自分達の将来のことに非常な関心を持ちます。将来どうなるかと言うことを心配します。特に、苦しみに直面し、その苦しみが終わりそうにもない時、将来について考えてしまいます。
聖テレジアの書簡
私たちは一瞬一瞬を生きています。生きているということは瞬間の連続でしかないのです。
今、この瞬間に主に対する信頼を証ししなければいつ証しできるのでしょうか。幾ら、将来のことに思いを馳せたところで、もしも、今この瞬間に主に対する全幅の信頼を証ししなければ、その将来に対する見通しなどなんの役にも立たないのです。
将来は、主のみ心の中にあるのです。主が私たちを将来どうされたいかは、主のみが御存知なのです。
私たちが幾ら努力したところで、主のみ心を読み取ることなど出来はしないのです。しかし、私たちは将来が気になります。現在しなければいけないことをせずに、将来のことに気を回します。
主のみ心に全てを委ねるのであれば、将来のことを考える必要はまったくないのです。今現在を生きることが求められるのです。
今やらなければならないことを、きちんとやり遂げること。
但し、自分の思いによるのではなく、いつも主のみ心に従うことを祈りつつ生きる。それが大事なことなのです。