写真判定とフーリガン

 

※ご注意 阪神フーリガン様のご閲覧は遠慮ください。クレームも受け付けません。
良識ある阪神ファンの皆様には問題のない内容です。 逆にここで見たやつらを、更正してやってくれませんか。
友人に一人阪神ファンの方がいらっしゃいます。その方に対するあてつけではありません。ほんとフーリガンが迷惑なんです。

カメラやビデオのほうが、人の目よりも性能が良いものです。
阪神フーリガンが、逆手でラミレス選手のホームランを叩き落とした画像です。審判がミスジャッジして2塁打になりました。この年、ラミレスは一本の差でホームラン王を逃しています。

翌日、ライトの巨人応援席に掛かった大きな垂れ幕 ” 俺たちは正々堂々と闘う!! ”  いいと思います。嬉しいです。紳士たれですぅ!!

そして、こいつらがメガホン、ビール瓶、バイクのチェーン、ラジカセを投げ込んだので、東京ドームはビン、カンの持込みが禁止、荷物検査が厳重になってしまいました。

 

翌日のサンケイスポーツで、ダンカンはこの行為を ” 神の手 ” とコメントしています。人を陥れる行為が ” 神 ” なんだそうです。 ほとんどの阪神フーリガンのブログには、よくやった。と書かれています。  人 (他球団) が嫌がることが、楽しいのでしょうか。

 

 

神宮の”ヤクルト対阪神戦”で、毎試合、くたばれ読売の大合唱。 くたばれの合唱も異様ですが、試合に出ていない巨人にくたばれとか、どれだけ馬鹿なんですかね。阪神フーリガンとヤクルトファンの頭のおかしい人たちの集まりです。

以前俺は神宮の3塁側で、くたばれ読売のヤクルトファンに注意して乱闘しました(汗)

 

味方の選手や監督に罵声を浴びせ、俺たちは客なんだから、みたいな態度が普通のようですから解らなくもありませんが (爆) 阪神フーリガンと言うよりも、只のアンチ巨人の集団です。 CMの合間に巨人の試合を見て負けると喜んでいる連中です(爆) 検索すれば幾らでも出てきます。もっとも巨人ファンにもそういう奴はいますけど、もっぱら首位に負けて欲しい!! などという、ゲーム上の駆け引きで、、という事が多いです。

 

負けるたびに、味方の選手を珍障扱い(爆)

                      (C)2009年6月9日 サンケイスポーツ

 

選手と味方ファンの喧嘩。  これ阪神の日常 (爆)


良識ある阪神ファンが、こいつらに ”やめろ!!” と言ったら?? 暴行を受けることでしょうね。 ロッテファンと口を聞いたことで、仲間の阪神ファンからボコボコにされるという事件が過去にありました。
 俺とか普通に相手ファンと話すので信じられません (除く・阪神フーリガン)

 

中日戦で落合監督の遺影を掲げる奴。写真は拾いモノですが撮影がバレたら頃されますよ?
巨人の阿部のユニフォーム着て、原監督の遺影を掲げる馬鹿もいるそうです。 普通にウケているそうです。
韓国人もサッカーW杯で、ドイツチームの遺影とナチスマーク掲げていましたね。

 

馬鹿そうなやつが、甲子園の外野席で落合監督の遺影を掲げています。

 

阪神ファンが起こした代表的なトラブルとしては、以下の事例が挙げられます。 (出展 ウィキペディア 〜阪神ファンより〜) 
巨人ファンにも悪い奴がいますが、悪さのケタが違います。良識ある阪神ファンの方には事実を受け止めて、こういうのもいるんだなということを知ってください。

1972年10月7日、甲子園で巨人に敗れ巨人の優勝が決定した際、ファンがグラウンドに乱入して巨人の胴上げは中止となった。だがこれは、翌年の大騒動に比べればまだ大人しい方であった。

1973年10月22日、甲子園での最終戦で巨人に0-9と大敗し優勝を逃した際、不甲斐ない試合に激高したファンがグラウンドになだれ込み、対戦相手の選手らに暴行を働いた(世紀の落球とV9)。これにより巨人のグラウンドでの胴上げは中止となった。29年後の2002年、巨人は再び甲子園でリーグ優勝を決めたがこの事件を受け厳重な警備体制が取られた。

1984年8月15日の巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人がレジー・スミス外野手を取り囲み、人種差別と受け取れる罵声を浴びせる。その後数名がスミスに暴行を受け、スミスが書類送検される騒動に発展した。

1985年5月23日の広島戦(甲子園)で、北別府学投手がバスターで右翼ポール際に本塁打を放った際、判定を不服とした阪神ファンが線審にチェーンを投げつけ負傷させた。

同年6月30日の巨人戦(甲子園)で、開場後に天候不良で試合中止となったが、ライトスタンドに入場していたファン約1000人がグランドに乱入。「優勝前祝い」と称しリリーフカーを奪いグランド内を暴走したり、1塁側ベンチにも乱入するなど球場内は30分にわたり混乱した。その後、阪神球団及び甲子園球場はライトスタンドフェンス際にファンの乱入を防ぐための有刺鉄線を設置するなど防御策を推進。また、この混乱の際に一部のファンがレフトスタンドにも乱入し、既に入場していた一部の巨人ファンを取り囲み暴行するなどの行為もあった。

1992年9月11日のヤクルト戦(甲子園)で、八木裕選手が岡林洋一投手から放ったレフト方向への本塁打がエンタイトルツーベースに覆されたことを不服とした阪神ファン数人がグラウンド内に乱入し、逮捕者が出る事態へと発展した。

同年10月10日には最後まで優勝を争ったヤクルトとの直接対決(甲子園)に敗れ、ヤクルトの優勝が決まると、野村克也監督の胴上げや優勝インタビューの際に阪神ファンから一斉に「帰れコール」が発生し、さらに引き揚げるヤクルトの選手や監督に対し大量のメガホンを投げつけた。これにはサンテレビの野球中継のゲストのダンカンが苦言を呈していた。

2001年、開幕戦の巨人戦(東京ドーム)で3-17と記録的な大敗を喫した試合、最後の打者がレフトにフライを打ちあげると捕球態勢に入った清水隆行に対し、レフトスタンドの阪神ファンからメガホンが投げ込まれた。

2003年、それまで16連勝と好調だった横浜戦で敗戦した際、9回裏藤本敦士の放った3アウト目となるレフトファウルフライを周囲への注意が散漫になりやすいスライディングキャッチをした多村仁めがけて一部の阪神ファンがメガホンを投げつけるという行為を働いた。多村は「本当に危ない。怪我するかと思った」とコメントしており、横浜ファンのみならず阪神ファンからも糾弾の声が上がった。当時の星野仙一監督も「こんな事やったら甲子園で胴上げはやらん」と激怒した。

同年6月11日、岐阜長良川球場の中日−阪神戦において阪神が7−2で勝利した後に阪神ファンがグランドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグランドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用トウガラシ系催涙スプレーの様のモノが噴射され観客53人が目やのどの痛みで治療を受け、内31人が病院搬送、7人が入院する事態となり、警察も捜査をした(結局事件は未解決のまま、うやうむやになったままである)。この一件に関し(当時の)山田久志中日監督、星野仙一阪神監督、片岡篤史、桧山進次郎、赤星憲広などが暴挙を非難するコメントを出した。(詳細は長良川球場を参照)

2005年6月2日の交流戦・福岡ソフトバンクホークス戦において、金本知憲への頭部付近への死球を危険球投球と判定され退場する三瀬幸司に対しゴミを投げつけたり、試合終了後に帰路につくホークス選手を乗せたバスをファン100人が取り囲みメガホンを投げつけたり罵声を浴びせるなどで進行を妨害した。

2005年の日本シリーズで、「千葉ロッテマリーンズのファンと口をきいた」という理由でそのファンに対し暴行、逮捕される騒ぎとなった。また、このシリーズでは他にも暴行や器物破損容疑で10人以上の逮捕者が出ている。

2006年9月16日、首位中日と5.0ゲーム差の2位で迎えたナゴヤドームでの直接対決3連戦の第2戦、山本昌に41年ぶりのノーヒットノーランを達成され、なおかつシーズンの同球場での10連敗目となる完敗を喫してしまった。一部の阪神ファンが左翼3階席通路の防煙垂壁(火災の際、煙が客席への流入を防ぐもの)につかまって応援していたが、この試合終了後に何らかの強い力が加わり、崩れ落ちているのが見つかった。現在も犯人は見つかっておらず、またプロ野球の歴史に残るであろう記録の試合の汚点となってしまった。

2006年のシーズン終盤には神宮球場のヤクルト対中日戦や横浜スタジアムの横浜対中日戦で、首位の中日を負けさせるために阪神の法被やユニフォームを着用してライトスタンドにてヤクルトや横浜を応援するファンが目撃された。2006年10月8日の横浜対中日戦では、中日の逆転時にグラウンドにメガホンを投げ入れ、試合終了後には横浜公園内にて中日ファンとの乱闘騒ぎも起こしている。

2008年5月7日の対巨人戦(東京ドーム)で巨人のアレックス・ラミレス選手のオーバーフェンスの打球を左翼席最前列にいた阪神ファンの男性が手でブロックし、ボールがフェンス上部に当たりグラウンド内に落下。協議の結果、ツーベースになった。

 

ケンタッキー人形窃盗、かに道楽看板器物破損、巨人の大道に氷投げつけとか載っていませんが(笑)
東京ドームの試合、2人でタイガーマスクの格好してジャビット(巨人のマスコット)を、ひたすら蹴っ飛ばして球場何周もしている馬鹿がいつもいるんですよ。試合見に来た子供たちがびっくりしてます。つうかヒキますね。他人への嫌がらせに快感を感じているんですよ。
俺たちもトラのぬいぐるみ蹴っ飛ばしてやろうか!! という巨人ファンもベイスターズファンもいませんね。  まあ続きは下のリンク先でもお読みください。↓


以上、フーリガンネタは終わりまして、カメラの話題に戻ります(爆)
2塁ランナーがベースを踏み忘れアウトになった判定ですが、翌日の新聞にベースを踏んでいる写真が掲載されてしまいました。写真はみあたらなかたので、見たい人は探してください。ま人間の目なんてそんなもんです。

 

 

最後にプロ野球史上の最高の名ジャッジと呼ばれている話です。    出展ウィキペディア 〜日本シリーズ初の退場事件〜

1969年10月30日に後楽園球場で行われた日本シリーズ(読売ジャイアンツ(以下「巨人」)−阪急ブレーブス(以下「阪急」))第4戦
4回表、3点をリードされた攻撃側巨人は、無死で一塁走者王貞治、三塁走者土井正三を置き、打者長嶋茂雄というチャンスを作った。ここで長嶋は三振に倒れるが、その際に巨人は、一塁走者が二塁に向けてスタートをきり、状況を見て三塁走者が本塁突入するという、いわゆるディレードダブルスチールを行なった。

守備側阪急は、捕手岡村浩二が一旦二塁に送球し、二塁手山口富士雄が手前でカットして本塁に返球するという対応に出た。

本塁に突入した土井は、岡村に跳ね飛ばされた形となったが、岡田功球審は、これをセーフと判定した。完璧に土井をブロックしていたと確信していた岡村は激高し、岡田を殴打。日本シリーズ初の退場処分を受けた。

この判定に阪急側は激怒。その後捕手に入った岡田幸喜は、サイン違いを装って投手からの投球をわざと捕球せず、球審を投球の的にするという報復に出た。一方、試合は巨人がこの回に6点を挙げて逆転し、最終的に9-4で試合をものにした。

2007年9月にプロ審判員平林岳がNACK5でゲスト解説を行った際、捕手の行為が話題に出た。この時平林は「アメリカでやったら即退場だったでしょう。一歩間違ったら命に関わるほど危険な行為です」と指摘している。

テレビ放送及びモニターのビデオを見る限り土井の足は本塁ベースに達してなく(これは各種報道・関係者談話等は一致している)、巨人川上哲治監督も土井に「本当にホームベースに触れたのか」という疑問を述べたという(土井の談話)。岡田は後年、「前代未聞の誤審と言われ、四面楚歌の状態だった」と述べている。ビデオのコマに本塁ベースを踏んだ瞬間が残らなかったということが起こったという問題がクローズアップされた。

試合後、ミスジャッジかもしれないと考えた岡田は辞表を提出しようとしていたところ、報知新聞記者近藤唯之から電話が入り、「あなたのジャッジのとおりの写真が出た」と知らされた。そして、翌朝の同新聞1面に問題となった本塁でのクロスプレイの写真が大きく引き伸ばされて掲載された。それには、土井が跳ね飛ばされる直前に彼の左足が岡村の両足の間をかいくぐり、しっかりと本塁を踏んでいる瞬間が見事に写し出されていた。同新聞以外の新聞もほぼ同様の対応をとった形となり、問題のジャッジは正しかったことが証明された。一方、これで阪急の抗議は、ただの暴力事件と位置づけられてしまった(参考:後出日本経済新聞1997年7月16日付夕刊のコラム)。



(C) スポーツニッポン新聞社

 

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