ヘレン ケラー

 

ヘレンは下記にあるように、両親からしつけを受ける事の出来ない状態となり、非常にわがままに育ちましたが、ヘレン曰くもう1人の自分、サリバン先生から指文字や礼節を教わりました。

最初に教えた言葉はwaterと記憶している人がいるかもですが、これは勘違い。

実は、はじめに覚えた言葉は「DOLL」。
waterはすべてのものに名前がある!という目覚めの出来事でした。

サリバン先生によると、小さい頃のヘレンはカンシャク持ちで、人形を投げつけて壊してしまったこともあるようですが、そのあと我に戻り、壊れたお人形を抱きしめて泣きじゃくっていた優しい女の子だった、と記されています。

ちょっと視点が違いますがいつの時代にもお人形さんは、よき相談相手、お友達、もう1人の自分。


ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880年6月27日 - 1968年6月1日)は、アメリカの教育家・社会福祉事業家である。自らも重い障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした。
1882年、2歳(生後19か月)のときに熱病にかかり、医師と家族の懸命な治療により、かろうじて一命はとりとめたものの、聴力と視力を失い、話すことさえできなくなった。この事から、両親からしつけを受ける事の出来ない状態となり、非常にわがままに育つ事となってしまった。
1887年、彼女の両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、彼の紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣されてきたのが、同学校を優秀な成績で卒業した当時弱冠20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)であった。彼女はその後約50年にもわたってよき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる。

 

【ニューヨーク2008年3月5日時事】

幼少期のヘレン・ケラーと家庭教師のアン・サリバンを撮影した120年前の写真がこのほど見つかり、米非営利団体ニューイングランド歴史系図協会(マサチューセッツ州ボストン)が5日、公表した。ケラーの子供時代の写真はほとんど残っておらず、同協会は「最も重要な写真の1枚」としている。

この写真は1888年7月、ケラー一家が避暑のために滞在していた同州ブルースターで撮影された。
いすに座って人形をひざに乗せた当時8歳のケラーと、彼女に寄り添うように腰を下ろしたサリバンが写っている。

前年にケラーの教育係になったサリバンは、ケラーの手のひらに指で繰り返し「人形」の文字を書くことで、彼女に言葉を理解させたとされる。

この写真は同州在住の男性から寄贈されたアルバムを調べているうちに見つかった。男性の話によると、男性の母親が子供のころ、ケラーの遊び友達の一人だったという。 【ニューヨーク支局】AP通信によると、米ボストンの「ニューイングランド歴史家系協会」は5日、同協会への寄贈品の中から、目、耳、口の三重苦を克服したことで知られるヘレン・ケラー(1880〜1968)の8歳時の写真が見つかったと発表した。

 

 

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